WORKS

主な漫画作品

1971年8月
地獄の子守唄
ひばり書房
1975年1月
胎児異変わたしの赤ちゃん
ひばり書房
1975年5月
怪奇! 毒虫小僧
ひばり書房
1976年2月
まだらの卵
ひばり書房
1976年3月
蔵六の奇病
ひばり書房
1976年3月
幻色の孤島
ひばり書房
1976年5月
恐怖列車
ひばり書房
1978年10月
恐怖! 四次元の町(サブの町)
立風書房
1979年9月
黒猫の眼が闇に
立風書房
1980年4月
恐怖のモンスター
ひばり書房
1981年8月
四次元ミステリ ゴゴラ・ドドラ
立風書房
1982年6月
怪奇! 地獄まんだら
立風書房
1982年8月
地獄変
ひばり書房
1982年12月
恐怖・地獄少女
廣済堂
1983年5月
赤い蛇
ひばり書房
1983年10月
悪魔が町にやってくる 恐怖!!ブタの町
ひばり書房
1984年2月
霊少女魔子
立風書房
1984年6月
人食い鬼婆
講談社
1984年6月
一つ目の怪
講談社
1985年2月
呪われた赤ん坊が...(地獄少女)
ひばり書房
1986年2月
地獄小僧
ひばり書房
1986年5月
オカルト探偵団 死人形の墓場
秋田書店
1986年7月
怪奇! 死肉の男
ひばり書房
1986年8月
地獄のペンフレンド
秋田書店
1987年8月
妖女ダーラ
大陸書房
1987年9月
怪奇! 死人少女
秋田書店
1988年2月
血みどろ館
秋田書店
1988年7月
魔鬼子
東京三世社
1991年6月
鬼ジャリ
松文館
1991年10月
私の悪魔がやって来る
辰巳出版

絵本

2019年
ようかい でるでるばあ‼︎
彩図社

映像作品

1985年
ギニーピッグ2 血肉の華
オレンジビデオハウス
1988年
ザ・ギニーピッグ マンホールの中の人魚
ジャパンホームビデオ

映画

2019年
伝説の怪奇漫画家・日野日出志
2019年
電車を止めるな!〜のろいの6.4km〜

キャラクターデザイン

2018年
まずい棒
銚子電鉄

単行本目録

1971年8月『ひばり書房』刊

◉収録作品
「蝶の家」「七色の毒蜘蛛」「白い世界」「博士の地下室」「泥人形」「地獄の子守唄」

「泥人形」は『ガロ』のデビュー作「どろ人形」を、『少年画報』でよりショッキングでグロテスクにして描き直した作品。

1971年8月『少年画報社』刊

◉収録作品
「蔵六の奇病」「水の中」「はつかねずみ」「百貫目」「猟人」

収録作品はいずれも『少年画報』ショッキングワールドシリーズで連載されたもの。
怖いもの知らずの、一番パワーに溢れている時だったかもしれない。若さかな…

1972年10月『虫プロ商事』刊

◉収録作品
「ぼくらの先生」「お〜いナマズくん」「かわいい少女」「人魚」「幻色の孤島」「ばか雪」「水の中の楽園」「つめたい汗」

右はカバー絵の裏のイラスト。憧れの高倉健さんの昭和残俠伝のパロディー。

1975年1月『ひばり書房』刊

◉収録作品
「胎児異変わたしの赤ちゃん」「赤い花」「まりつき少女」「真夏・幻想」「元日の朝」「おかしなおかしなプロダクション」「水色の部屋」

「赤い花」は初の青年漫画誌作品。後年これを元にしたビデオ作品「血肉の華」が大事件になった。

1975年5月『ひばり書房』刊

初めての書き下ろし単行本。
カフカの「変身」をモチーフにして、子供向けの作品として描いた。映画監督を夢みていた頃を思い出して、一本の映画を作る気持ちを込めて取り組んだ。楽しかった。こんなに楽しく作品を描いたのは初めての経験だった。

1976年2月『ひばり書房』刊

◉収録作品
「ウロコのない魚」「セミの森」「マネキンの部屋」「地獄へのエレベーター」「がま」「ともだち」「狂気の宿」「まだらの卵」

『少年アクション』で掲載された作品を中心にまとめた。

1976年3月『ひばり書房』刊

◉収録作品
「蔵六の奇病」「水の中」「はつかねずみ」「百貫目」

『少年画報社』から引き継いで出したが、ページの都合で「猟人」を除いて出版した。カバー絵も新しく描いている。

1976年3月『ひばり書房』刊

◉収録作品
「ぼくらの先生」「お〜いナマズくん」「かわいい少女」「幻色の孤島」「つめたい汗」「猟人」「人魚」

『虫プロ商事』刊から引き継いで出したもの。収録作品は若干の変更をした。

1976年4月『ひばり書房』刊

週間『少年キング』で連載した初の長編大河?作品になるはずだった壮大なスケールで描く古代国家誕生の物語。
実は高校生の頃に構想していたが打ち合わせの時、ノートをパラパラとやっていたら担当の目に止まってしまい行きがかり的に見切り発車して大失敗した。

1976年4月『ひばり書房』刊

第1巻と同時に発売された。
第3巻はページ数が足りないため新たに描き足して発売の予定だったが、途中で編集部から1、2巻の売れ行きが悪いため中止すると電話が来た。「ええっ!?」と思ったが仕方がない。描き足し原稿を破り捨て、しこたま酒を飲んで諦めた。

作品目録

1967年『COM』10月号掲載
第5回月例新人入選作でデビュー

「つめたい汗」


怪奇と叙情という世界観に辿り着く前の作品で、8頁のブラックギャグ時代劇だった。
色々な事情で16頁にして載せる事になったが、俺はこの作品でデビューしたくないと言って編集者を困らせた。思えば生意気な若僧だった。

1968年『ガロ』5月号掲載
新人入選作

「どろ人形」

日野日出志のペンネームで再デビュー。
16頁の完成作品を投稿して、そのまま掲載されたのが嬉しかった。怪奇と叙情の世界観への第一歩だった。当時ライバル関係の『COM』と『ガロ』でデビューしたのは俺だけかもしれない。因みに『COM』は本名だった。

1968年 『ガロ』9月号掲載

「水の中の楽園」

怪奇と叙情の方向性は決まっていたものの、まだ絵柄が安定していない。思い付きのアイデアだけで描いていたので、人間の内面に迫る内容には程遠い。まだまだ迷い道の途中にあった。後に[少年画報]で「水の中」として描き直した作品でもある。

1968年『ガロ』9月増刊号掲載

「埴輪の森の伝説」

初めて『ガロ』編集部からの注文作品。そのため張り切って実験作をと思って描いた。あみ点のやり方を知らず青鉛筆できっちりグラデーションまで塗った。絵柄も作風も変わって編集長の長井さんが頭を抱えていた。よく掲載してくれたと思う。

1968年『ガロ』11月号掲載

「ばか雪」

前作の「埴輪の森の伝説」の実験に懲りて絵柄をまた変えたが、完全に迷路に逆戻りした気持ちだった。これを機に一念発起して、少年漫画誌への挑戦を決意した。[ガロ]最後の作品である。この後、地獄への入り口が待っているとは思っていなかった。

1970年『少年画報』9号掲載

「蔵六の奇病」

一年余りの時間をかけて完成した作品で、詳しくは前述した通りである。
編集の意向でサブタイトルに"ショッキングワールド"と付いてしまったため、これ以降は作風が一気にそちらに傾いてしまった。良くも悪くも俺の漫画家としての一生を決めた作品。

主な翻訳作品